21世紀の「参加型社会」に向けたビジョナリー対談
(本記事は、2021年1月8日に行われた、以下ご両名の対談を元に構成しています)
田原 真人 氏
マレーシア在住10年目。2021年は、参加型社会学会を立ち上げ予定。『出現する参加型社会』を出版予定。マレーシアに住んでからずっとオンライン。自分の人生の可能性とオンライン化の可能性をかけあわせてやってきた。活動のキーワードは、「自己組織化」「参加型社会」。教育から組織、社会へとだんだん広がってきて、生命としての可能性を生かすようなあり方を探求している。
高橋 翔 氏(Sho T 氏)
NTT東日本で約11年、主に新規事業に携わる。並行してアントレプレナーのように起業し、オーダーメイドのグッズメーカーを共同創業。20代後半頃には資本主義に対して違和感を感じていたが、ブロックチェーン等の分散型技術を知り、その違和感の正体が中央集権型の支配的な社会構造だということに気づく。その後、世界初SNSブロックチェーンの「STEEM」というプロジェクトの日本アンバサダーになる。講演やアドバイザリーを通じて幅広いネットワークを形成し、現在は、一般社団法人NoCoders Japan協会の代表理事、およびITとメディアのベンチャー企業(株式会社プレスマン)で、チーフイノベーションオフィサー(事業開発等)も行っている。
対談
田原:
支配型の構造がクリエイティブを殺していることをなんとかせねば、というのが2人の共通点ですね。
高橋(Sho T)
そうですね。田原さんが今度出版される本の原稿も拝読しましたが、共感できる部分が多くありました。内容は量子論から始まり、ユングの心理学などの多様な軸からの話があって幅広かったですね。後半は田原さんご自身のご経験を通して、社会構造が変わってきているということを実体験ベースで書かれているなと思いました。私も似た感覚を10年ほど感じています。
「参加型社会学会を立ち上げられる」ということにも、非常に興味が湧きました!
田原:
ありがとうございます。翔さんも直感で動き、気づいたことを言語化して新しい言葉を作り、発想をされていると思うのですが、私も動き方は似ています。
田原(続き):
とにかく直感で動き、形になっていないところから入って、経験から形にしている。
計画しているのでもなく、伝わってきているというのでもなく、感じ取ったものを自分なりにやっていくと、他にも似たように感じ取ってやっている人がいて、私と翔さんが出会ったみたいに、別のところからお互いに「出現してくる」という同時多発的な動きなのだと思っています。
その動きがすごく重要だなと。自分の内的衝動や意志によって、それぞれの人が進みたい方向にそれぞれの方法論で動いていく、というのが参加型の基本だと思っているからです。
一方で、「出現してくる」というものをやっているとき、最初はすごく孤独を感じると思いますね。周りにこんなことやっているのは自分しかいない・話が通じない…などがあるけれど、そこを乗り越えて、通ずることをしている人に出会って活動していくことで、その出現のプロセスが加速していくと思います。
今までの社会は、それを「余計なことをするな」という感じで抑えられていたけれど、その「余計なこと」がどんどん生えていって、生命的なプロセスで何かが生まれていく社会を出現させたい。
そのためには、お互いにやってきたことを報告しあって触発しあっていく場が必要ですね。学会という枠組みにすると、単なるコミュニティ等ではない広い枠組みで入れるし、集合知を蓄積して行く仕組みも作り易いのではないかということで、立ち上げる事になりました。
高橋(Sho T):
参加型社会という切り口からオープンイノベーション(異なる者同士を含む共創)のような創発をされていくイメージですかね?
田原:
そうですね。みんなそれぞれの領域で活動しているので、他の人が取り組む領域のことは知らなくて、全体像が掴めない。そこで集まって色んな課題が出てきたときに、参加型にすることで解決できる課題もあると思っているのです。
そうしたコアになるような仕組みも発見して、参加型で展開することによって、課題が課題じゃなくなっていくみたいに、集団的に広めていけるようなコアなものにしていけたらなと思っています。
高橋(Sho T):
良いですね。多様な立場の者同士で、参加型で対話など行っていると、「こうなったら面白い」という発想がどんどん出てきますね。
一方で、今はその発想を実際に実現する術が中々なかったりするのが課題だなと実体験ベースで感じています。
例えばアイデアを実際に実現しようと思うと、マネジメント組織でリソースが必要になってお金も必要になるという壁が生じてきますね。そこで当初は生命論的なプロセスの発現だったものが機械論的なもの(システムの都合)に飲み込まれてしまったりする。
そのようなジレンマに対して、(生命論的な要素と機械論的な要素の)バランスをとれる可能性が “ノーコード”にはあるかなと思っています。
プログラムコードを書かなくでもサービス等が作れることを”ノーコード”というのですが、それによってアイデアを技術者じゃなくても実現できるという風になっていける。
そうすると、生命論的なスタート地点からあまりズレずに、物事が運びやすくなります。そこに可能性を感じ、NoCoders Japan協会を立ち上げました。全然違う業界の人とも、これからオープンイノベーションのようなことをしていきたいとも考えています。
田原:
僕は、他の人ではなくて翔さんがノーコードに旗を立てているという点ですごく興味があります。
というのも、システムを先に作るとシステムの中で「こう動け」というのが決められている訳ですが、そうではなくて、意味がまだ固まっていないところ、すなわち何かが生まれてモヤモヤとなっているところから徐々にサポートする感じでシステムが緩やかにささえてくると、機械論と生命論が良いバランスで理想的だと思う。
だからノーコードで、モヤモヤを抱えるビジョナリーも、プロトタイプを作り、活動を試行錯誤しながら良いバランスで進めていけると良いのかなと。
高橋(Sho T):
はい。長い時間をかけて徐々に理想の状態に持っていきたいなと思っていますね。
あと最近、大企業が複業解禁せざるを得なくなってきていますが、その結果フリーランス的な社会の傾向が強まり、大きな組織が解体していくと思っています。ノーコードはそこでもすごく武器になると思っています。
これから組織は支配型である必要がなくなっていくと思いますし、社会はもっと生命論的なプロセスで動く構造になると思います。
ところで少し話は変わりますが、ここ20年~30年、「無形資産(ブランドとかデータ、ネットワークなど)」が市場の価値の大きな比率を占めてきていまして、これはPL(損益)では測りづらい価値ですね。これがとても生命論的なプロセスと相性が良いと思っています。
無形資産という切り口で様々な価値についてを話すと、ビジネス界隈にも理解されやすい感覚があります。これに近い話として、最近の人の感覚は、「お金は最低限でよく、お金じゃ買えないところをやりたい」という傾向になってきたと感じています。
田原:
そうですよね。特に災害とかトラブルが起こると、「お金じゃない何かをやらなきゃ」という動きが同時多発的に出てくるなと思っています。
だからコロナの状況で、「資本主義で作った社会がもう終わる」というムードすらあると思っているのですが、同時多発的に動けるかどうかが鍵だなと思います。
高橋(Sho T):
たしかに。本当に時代が変わってきたなと思いますね。2010年くらいに通じなかった話が、かなり幅広い層に通じ始めているなと。感覚的に分かり合えるというか。
コロナがかなり後押ししているのだと思うのですが、間違いなく変わるなと。
田原:
確かにコロナとなって働き方のリモート化で、複業もかなりやり易くなりましたよね。そういうことも背景にあるのではないかと。
場所や時間が一箇所に固定されないから、「多層的に属す」ということができるようになって、一つのところで支配されずに、分散することで「自立した生き方」ができるようになってきましたね。それでお金じゃない何かを求めることもしやすい状況のように思います。
高橋(Sho T):
まさに。組織やネットワークも開放型になってきていますしね。例えば学校のような機関も授業をオープンにして、社会人と一緒に授業を創発するなど見られるようになってきました。
多層的な関わりができるような社会になっていくと、個人は、自分が「より意味がある」と思えることをやって、「意味がない」と思ったら別のことに切り替えやすくなっていくと思います。
田原:
そうですね。これまでは、「お金を稼ぐために我慢しなきゃいけない」とか、「自由なことをやるなら不安定を覚悟しないといけない」とか、あれかこれかの二択だったなと思う。
でも今は、ポートフォリオ的な考えになってきているなと。バランスが大事になってきているよね。いかに意味あることをするのかとか、自分の存在意義がどうやって立ち上がってくるかとかが重要になる。自分にとって意味があるかというのが大切だよね。
高橋(Sho T):
まさにそう思います。人材の採用も最近は種類が分かれてきていて、従来のように「年収」を重視する採用もあれば、「やりがい」を重視する採用もある。おもしろい人が集まるのは後者。世の中全体が、無形の価値にシフトしていっている。
ただ、みんなこの状況を言語化できていない。よくわからないけどなんかそっちだよねという感じ。
みんなそこがよくわからないから思い切り踏み出せないというところがあって。今、「生き方を変えたい」という人が多いですが、一歩踏み出せていない。ただ、人々の意識は確実に「意味」とか「価値」に向かっているので、そこにどうやって気付けるか。「自己変容」が多くの人に起こっていくと行動ベースで変わるなと。
田原:
その「自己変容」を妨げているのは、今の社会システムが作り出している事がたくさん残っていますね。ゆえに、今の社会システム内では解決が難しいのだと考えています。「コレクティブインパクト」で、それは解消できるかもしれません。つまり、色んな視点を持っている人たちが集まって自然発生で出来ることが積み上がって、そこから新たなスキームが自然にできてくるといったイメージです。それには、個人の繋がりから出現するコミュニティの中で、自然発生が生まれる状況をどう作っていくのかが課題です。
高橋(Sho T):
なるほど、多様性から起こる自然発生みたいな感じですかね。何か「題材」があって多様な人たちが集まってくるイメージですか?
田原:
そうですね、何かテーマに基づいて関係者が集まるみたいな感じですね。でもテーマはなんでもよく、色んな関係者が集まり、関係性からコミュニケーションを取っていき、スキームが発見され、課題を解決していくプロセスを想定しています。
高橋(Sho T):
なるほど。従来のシステムとは異なるアプローチから解決の糸口が見えてくるといったイメージですね。やや話は広がりますが、そのテーマの一つになるかもしれない話があります。最近「エコビレッジ」という、”循環型の持続可能な村づくり”というコンセプトがトレンドになってきているのですが、私も昨年、熊本にある「サイハテ」というエコビレッジに行ってきました。それで、そこの人たちと、今後の発展系として、エコビレッジにテクノロジーを組み合わせた「次世代型エコビレッジ」を作りたいねという話(循環型でありながら文明的な技術を取り入れる挑戦の話)をちょうどしていたところです。例えばそういったテーマも田原さんのおっしゃるプロセスに相性が良いですかね?
田原:
良いですね。そのテーマだと私が思うには、生産している人がキーワードだと思います。生産手段を持っている人たちのエコビレッジ。一方で生産手段を持ってない人と遠く離れていても、お互いに顔が見えていると、知り合いにお裾分けするような循環する感じが出て良いですね。少し懸念なのは、仮にエコビレッジで生産したものでも、顔の見えない「システムとしての流通」にのせていくと、その「システムに合わせて行く」事が求められてしまうので、個人と個人で繋がる循環ができても、システムが巨大になるにつれて合理化していくのではないかなと危惧します。
高橋(Sho T):
確かに、例えばその次世代エコビレッジの取り組みにテック企業を巻き込もうとするケースを想定すると、その企業側のシステム的なロジック(機械論的な合理性)にスタート地点のコンセプトが飲み込まれてしまう危険性はありますね。企業が意志決定するには、それなりにロジックを求められるので、そこに寄せられていってしまう圧力がかかる可能性があります。
そこでアイディアがあるのですが、いきなり企業を巻き込むのではなく、その企業の中で最もコンセプトを理解し合える「企業の中の個人」を先に巻き込むというプロセスを踏みたいと思っています。
コンセプトを深いレベルで理解し合える個人間のネットワークをじわじわ作っていき、実験などのプロセスを経て、組織がコンセプトを理解し意志決定できるまでの「状況」を作るのが良いだろうと。システムの都合に飲み込まれないように。長いスパンで状況を作る必要がありますね。
田原:
その話でいうと、今回私が出版する本は、クラファンで出したんですけど、これが大手出版社からだとテーマやジャンルなどが決められていて自分の描きたいものが書けなくなるんです。翔さんにも読んで頂いた原稿見たいな本にならない。
実際に前の本(『Zoomオンライン革命』)だと、八割方書き直した。それがクラファンだと、私の書きたいことに共感してお金を払ってくれた人に向かって思いっきり書くことが可能になったんです。
その体験はシステムを通さない動き方って、クリエイティブをやるときに必要なんだなと思いました。マス(メディア)に乗せるためには、こうしないといけないという正攻法がありますが、うまいこと回避していくこと、いきなりマス(メディア)に行かなくても、身近な人で十分で多層的にやっていけるんじゃないかなと。
高橋(Sho T):
面白いですね。一方で、個人を起点とした生命論的なコンセプトと、機械論的な組織のロジックが、お互いに歩み寄るのも大切ですよね。私は20代後半くらいまでは、機械論的な組織の仕組みによって、個人起点のクリエイティブが殺されることに強い怒りを感じていました。ただ、スティーブ・ジョブスのようにクリエイティブな個人と、Appleのような強大な組織(システム)によって起こったイノベーションの例があるように、個人と組織(中央集権的なシステム)が互いにレバレッジになるケースもある。全体として平均をとると、中央集権的で機械論的な組織によって個人起点のクリエイティブが殺されやすいという話なだけであって。リーダーと組織がうまく重なると面白いことは起こるとも思っています。
田原:
そうだと思いますが、創業的な時や創業の人がスティーブ・ジョブスみたいなクリエイティブな人でも、だんだんシステムが維持されていくとクリエイティブが無くなり、システムだけが残るというのになりがち。
中央集権型も、まだクリエイティブが残っている時と、システムだけになっていった時と、同じ中央集権でも質は違ってくるよね。
高橋(Sho T):
そこは本当に過渡期ですよね。システムがもっと「自然」になれば良いと思っています。つまり人で構成される組織が支配する構造ではなく、デジタルネイチャーのようなプロトコル中心のネットワークによる自然的なシステムに乗っかれば良いと。そうすればクリエイティブはそのままクリエイティブで、クリエイティブを殺す支配的な構造に飲み込まれてしまうのを避けられるようになっていくと考えています。
田原:
さっき翔さんが言っていたみたいに、「やりがい」とかを気にする人が集まっていくと、全体として空気感もそうならざるを得ないのになっていきますよね。人はそういうところに集まっていくし。変えようと思っても変わらないけど、空気感が変わっていくと自然と変わっていくのかなと。
高橋(Sho T):
そうですね。そして実際にそういう流れになっていく/なってきていると楽観的に捉えています。お金(貨幣)に対する価値も変わってきていますしね。今、貨幣の発行供給量がどんどん増えていて全体的に価値が薄まってきています。そして、その増えた貨幣は、より富める者に流れ、構造的に格差が出ています。上層部だけが過剰にたくさん持っていて、中層以下は相対的に減ってきている構造。
貨幣の価値が下がり、一方で貨幣よりも求めるもの(対談前半で話していた無形資産的な価値)が出てきている。価値基準が構造的に変わっていく。
高橋(Sho T)(続き):
今回はビジョナリー対談なので、ここでもう少し俯瞰した話を加えておくと、「宇宙」と「バーチャル」も、未来におけるポジティブなシナリオの鍵になると思っています。環境問題も社会問題も、多くは「地球の有限性に縛られている」ことが大きな要因だと思っています。例えばもし、地球じゃない宇宙で工業的なこととか資源・エネルギーを求めていくことができれば、地球はもっとクリーンなことだけで保つことができる。また、人間の欲望や危険な部分も、バーチャルに向ければ良いと思っています。
これからインターネットも3D化していき、現実なのかバーチャルなのか区別がつかなくなる。すると欲望や過剰に危険な部分をバーチャルで満たせるようになる可能性があると。そうすれば、有限な地球の生態系を壊さないようにできるのではないかと感じています。
田原:
私は三つの未来シナリオを考えていて、
- デジタル監視社会、全体主義シナリオ
- 暗黒社会シナリオ
- 参加型社会シナリオ
まず町中に監視カメラがあって、デジタル全体主義のような世界。
一方で、自分の考えや好みに合ったものが勝手にリコメンドされて出てくるけども、どっちを見ているのか、どこかわからなくなってパラレルワールド的になって折り合いが難しく対話不能になっていく、そういう暗黒社会的な世界。
はたまた、そのどちらにも行かない「真ん中のバランス」をとりながら参加型でいく変容や成熟がある世界。
田原(続き):
3つ目の世界に行けるように、自分と考えが違う人と対話をしながら、自分の視座や考えを広げていくようなことをやっていこうと思うモチベーションをどう作るのかなんだけど、バーチャルで満たす方法もあるなあと思うんです。
高橋(Sho T):
そうですね、楽観的にポジティブなシナリオを選び取りたいですね。
その際、AIは変化のファクタ―として大きいなと思っています。
現在の社会は「人間と人間」によって構成されていますが、これから「人間とAI」とによって構成されていきます。人間でないものが知能を持つようになって行くからです。そうなると、社会に与える影響も間違いなく大きいなと。
田原:
最適化の調整がAIにいくと、人間は違和感とか出現をやっていくみたいな。人間とAIがバランスよくやっていけそうです。
高橋(Sho T):
なるほど。私の解釈ですが、AIは、機械論的なところだけではなく、クリエイティブ的なところも担える可能性があると思っています。そうなると、人間はAIとも対話し、さらに学ぶことも多くなるだろうなと思います。「人間とAI」から構成される社会で、様々な社会課題もクリアしていける未来を考えています。
田原:
人間の認識をAIは超えるし、それがアートやクリエイティブになっていくかもしれないですよね。
高橋(Sho T):
はい、そう思います。人間はディープラーニング的な学び方をしますが、AIもそうなりますよね。教師型学習のAIだけでなく、自発的な学びのAIも今後次々と生まれてくる。AIに心があるのか、ないのかとか、生命であるか、ないかとか、その辺の違いによってどうなるのかは気になるところですね。そこは私も予測ができないです。
対談まとめ(チェックアウト)
高橋(Sho T):
田原さんと私、お互いの観点から繋がる本質的なところはやはり近いなと思いました。アプローチは異なるのに、同じところに通じている。私は楽観的なシナリオを考えていますが、変わらず総じて楽観的で良いなと思えました。
生命論的なものが壊されたりしないように、どうやって時代がシフトしていくのか、どうやって我々がそのシフトに参加していくのか、長いスパンで共にやっていきたいなと。どこからどういうふうに相互に交わっていくのか楽しみです。
田原:
機械論と和解をして、どう調和するかに行って、どうスキームを作っていくかになってきたなあと。あるものをどうやって意味をずらして再定義していくのか、違う角度で見てエンパワーを起こしていくことをしたいなあとおもいました。
色々、翔さんと一緒にやって行くには今、私も良いタイミングで、お互いの現在地を確認し合うような1時間でした。ありがとうございました。
ライター:西山 このみ
グラレコ:森崎 恭平